打倒ミルフィオーレの為、ボンゴレの残存勢力と合流すべくイタリアへと渡った綱吉達を最初に待ち受けていたのは、敵の部隊ではなく味方からの洗礼だった。
ボンゴレ隠れアジト。一同が介する中央ホールにて。
「ししし、マジで小っさ〜」
綱吉を抱き上げ……というよりは持ち上げてベルフェゴールが笑う。
「うお゛お゛い!タイムトラベルの話は本当だったんだなぁ!?」
スルリと脇の下から掬い上げられ、今度はスクアーロの手へ渡り。
「しょ……小動物だ」
隣にいた強面のレヴィ・ア・タンに至近距離から覗き込まれれば、もうそれだけでホラーだ。
「あら〜ん、お肌ツルツル! 本当に可愛いわ〜!!」
更にルッスーリアの手に渡ると頬摺りまでされ、綱吉は声にならない悲鳴を上げた。
再会した10年後のヴァリアー達は狼狽する綱吉を代わる代わる抱き上げると、まるで珍獣でも見るような目つきで弄り倒す。 助けを求めようにも視界の端に映るのは激昂する獄寺とそれを宥める山本だけで。
どうやらいつもの冗談に取られているようだ。こんな冗談あってたまるか。
他のメンツに至っては初めから関わる気もないらしく、全く以て当てにならない仲間達の中、綱吉は彼らのなすがままにされていた。
そして、天災は忘れた頃にやってくる。
猫の子でも扱うように、次から次へと抱き上げられた綱吉が次に到達した場所は。
「XANXUS!」
思わず叫んでいた。
10年の歳月を経て、髪も伸び眉間の皺も薄れて年相応に落ち着いた風貌となった男は、静かな眼差しを向けてくる。
月日というものは本当に人を変えるのだなと地味に感動した綱吉だったが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
脇の下から掬い上げられ足を宙空に浮かせたままの綱吉。
この光景を後のスクアーロはこう語る。ありゃ磔の十字架だったぜぃ。と。
「貴様、なぜヴァリアーの到着を待たなかった!!」
突如襲いかかる罵声と憤怒。鋭い猛禽を思わせる獰猛な視線が綱吉を貫く。
その気迫に圧倒され反射的に謝ってしまったが、一体何の事やらさっぱり分からない。何故自分は責められているのだろう。
身に覚えのない罪に混乱していると脇の下にあった手が一瞬で胸倉へと移動し、衣服ごと高く締め上げられる。そんな体勢では息が続く筈もなく、宙に浮いた足でジタバタと空気を蹴るが拘束が緩む事はない。
やがて気が済んだのか、諦めたのか、ザンザスは目を白黒させながら段々と蒼くなっていく綱吉を大理石の床に投げ落とすと、足音高く踵を返すのだった。
こ、怖ぇぇ〜。
まだ心臓がバクバクしている。
ドカドカと怪獣のような足音を立てて去っていくザンザスの後ろ姿を茫然と見送った綱吉は、この数分間生きた心地がしなかった。
怖かった、本当に怖かった。
こちらではあれから10年の歳月が流れたかもしれないが、こちらにしてみればリング争奪戦はまだ最近の出来事なのだ。あの恐怖は早々に無くなるものじゃない。 綱吉はぶるりと身を震わすと自分の肩を抱いた。
それにしても……なんであんなに怒ってたんだろ。
事態が飲み込めず困惑する綱吉の肩に、スクアーロの手が置かれた。
「う゛ぉい! うちのボスが迷惑掛けたな。あれで悪気はないんだ……多分」
多分って何〜!? 心の声で突っ込む。
「何だその顔は!……まぁ怒っているのは確かだが、それはお前にじゃなく、ボンゴレ10代目に対してだからな、安心しろ」
「10年後のオレに?」
思わず聞き返す。
それならば、10年前から来た自分に苦情を出されても対応に困る。どうにも理不尽さを感じたが、当然それを口に出来るはずもなく、綱吉はがっくりと肩を落とした。
しかし、10年後の自分はザンザスに一体何をしたのだろう?
疑問がそのまま顔に出たのか、真相はルッスーリアが語ってくれた。
「10年後の貴方はね、私達を置いてミルフィオーレとの交渉に行ってしまったの」
側近である雨と嵐の守護者には見送りだけ認めたようだけど、会合自体には一人で。きっと初めから覚悟していたのでしょうね。
そう言って、ルッスーリアは悲しげな笑みを浮かべる。
綱吉は口を開きかけたが、返す言葉が見つからずに飲み込んだ。
「いいのよ。私達も言いたい事は山ほどあるけど、今の貴方を責めても仕方のない事だわ」
肩を竦めておどけてみせたルッスーリアの表情がふいに引き締まり、真面目なものへと変わる。
「でもね、これだけは忘れないでいてちょうだい」
責めるのではなく諭す口調で告げる。
「貴方の優しさは美徳だわ。けれど、時にはその優しさが人を傷つける事もあるの」
続きはスクアーロが継いでくれた。
「未来のお前が傷つけたのは俺達の誇りだ。お前は護衛として就く筈だったヴァリアーの到着を待たずに行動した。それは…」
根がいい人な男は、その続きを口にするか迷ったらしい。口籠もるスクアーロに、今度はベルが横入りする。
「それってさ〜オレ達へ対する裏切りじゃない?」
裏切り。頭をガツンと鈍器で殴られたような衝撃が綱吉を襲う。
ベルの口調はいつもと同じ軽いものなのに、声のトーンが低いのは、怒りを含んでいるからなのだろう。
たった一人の戦いは、ヴァリアーのボンゴレ10代目に対する忠誠心を突き返す行為に等しい。それは明らかな裏切り行為であり、10年後の綱吉の過失だ。
彼らを信じなかった訳ではない。
けれど、守りたかったのだろう。ボンゴレ10代目沢田綱吉はそんな男だった。
だが、それでは意味がないのだ。
「10代目は我々の存在意義を否定した」
レヴィの言う通り、暗殺部隊が主に守られているようでは話にならない。必要とされぬ部隊なら、それは死刑宣告に等しい。
「主の為なら、我らヴァリアーは死すら恐れない」
綱吉の脳裏に雷のリング戦の記憶が巡る。彼らのボスであるザンザスに、次に醜態を晒すようなら死にます。と告げた男の目に浮かぶ本気の色は、それが上辺だけの誓いではない事を語る。もし本当に死ねと言われたなら、彼は迷う事なくやってのけるだろう。
そう、必要とあらば剣にも盾にもなれるのだと。あっさり本気の死を口にするレヴィに綱吉が叫ぶ。
「そんなのダメだよ!」
痛いのも怖いのも嫌いだ。けれど、誰かが傷つく位なら自分が傷付いた方がずっと良い。
この時代の10代目と変わらない綱吉にスクアーロが怒声を浴びせる。
「なら一人で突っ走らないで、ちったぁ妥協しろ!!!!」
上司と部下。互いの言葉は最早水掛け論にしかならない。だからこそ、どこかで折り合いをつけなければならないのだろう。だが、10年後の綱吉はそれを拒んだ。
「お前にとって、
問いかけるのは静かな声。それは獰猛な海洋生物が暴れ過ぎ去った後の凪いだ海を連想させる。
正直、
山本と獄寺を返り見れば、二人は改めて突き付けられた10年後の綱吉の死に沈痛な面持ちで立ち尽くしていた。その表情に、思い出すのはいつかの台詞。
『またみんなで笑いあいたいのに、君が死んだら意味がないじゃないか!』
誰かが欠けたら意味がない。そう言ったのは自分だった筈なのに。
どうして、どうして自分は一人で全て背負い込もうとしてしまったのだろう。
こんなにも自分の周りには手を差し伸べてくれる人にも、荷物を支えてくれる手にも溢れていた筈なのに。
「つまりさ、オレ達が言いたかったのはそーゆー事」
ベルの手がくしゃりと綱吉の頭を撫でた。
「そう。だからね、それを忘れないでいて欲しいの。ねっ、ボス?」
ルッスーリアの言葉に振り返れば、そこにはザンザスが戻っていた。
「……」
瞳の中に未だくすぶり続ける憤怒の炎。けれど今度は怖くなかった。その奥に切なさと戸惑いの色を見つけてしまったから。
自分が友を案ずるように、彼ら
胸が痛い。この時代の綱吉に届かなかった叫びが胸の奥を締め付ける。
互いに守りたいと思うその気持ち。その強さの分だけ、この10年で築かれた自分とヴァリアー達との絆を見せつけられた気がした。
「それで、お前はどうしたい?」
今後の指針を訪ねるザンザスに、綱吉はゆっくりと周囲へ視線を巡らす。綱吉を取り囲むようにして並び立つ男達の鋭い視線に足が震えたが、自らを鼓舞すると強く奥歯を噛み締める。
力を貸して欲しい。
自分達だけではどうしようもない事でも、皆が揃えば何とかなるような気がしてくるから不思議なものだ。
だが、彼らの仕える主は今でこそ9代目に代行されてはいるが、本来はボンゴレ10代目である10年後の沢田綱吉だ。
マフィアのボスと言う道を選び取った未来の自分。築き上げた絆。10年という人生の軌跡。未だ未来を選び取ってすらいない今の自分に、その資格はないのかも知れない。
それでも……。
拳を堅く握りしめる。
今度は、間違えたりしない。
「皆の力を貸して下さい!」
音に決意を乗せれば
「オレは、この戦いを終わらせたいんだ!!」
刹那、立ち上る火柱。
綱吉の意志に呼応するように、大空のリングから迸る目にも鮮やかな橙の炎が蜃気楼に揺れる。
それは王の帰還。
姿こそ違えど、その瞳に宿る炎は同じ。闇を払うメキドの炎は全ての邪悪を焼き尽くす。
決意を込めた綱吉の言葉に、黒衣の男達が一斉にその足元へと跪く。
山本と獄寺も互いに顔を見合わせると片膝をついた。了平とクローム達もそれに習う。ランボとイーピンは、新しい遊びか何がだと思っているのだろう、はしゃぎ声を上げながら一生懸命に大人達の真似をした。
一同が片膝を立て右手を地につける姿は王に忠誠を誓う騎士そのもの。
それまで無関心で壁に凭れながら目を伏せていた雲雀も、今は真っ直ぐ綱吉を見据えていた。恐らく、決意を固めた綱吉に対する群れる事が嫌いな彼なりの敬意なのだろう。
不思議だった。いつの間にか震えは止まっていて、心は凪いだ海のように静かだった。
「それが貴様の望みか」
綱吉は力強く頷く。
ザンザスは跪き綱吉の小さな右手を取ると、その甲にそっと唇を落とした。
「Si.ドン・ボンゴレ」
全ては、主の命ずるままに。